ボツワナの歴史
14世紀頃から、セツワナ系の人々(バングァト族、バクェナ族、バングァケツェ族)が南アフリカの山地から様々な理由で北方に移り、当時未開だったこの地に移住しました。
その他の小数民族も住んでいて多民族社会を形作っています。
主要民族である、バングァト族、バクェナ族、バングァケツェ族は、小さな摩擦や争いはありましたが、言語と文化では一つにまとまり、共通の敵には力を合わせて対応してきました。
バングァト族は北へ進んでセロウェを首都とする中央行政区に住みつきました。バクェナ族は、モレポロレに首府を置きました。バングァケツェ族は、モチュディの南を経て、南部行政府の中心であるカーニェに住みつきました。
19世紀頃には、ボツワナには少なくとも八つの族長国があり、そこに住む人々は共通の言語と歴史を持ち、比較的平和に共存していました。その南方の族長国の境界は南アフリカ内にずっと伸びていて、今でもツワナ語を話すセツワナ系南アフリカ人が300万人以上いるそうです。
19世紀のこの頃、英国は南アフリカにおける主要な植民地本国として勢力を強めていきました。一方、ナミビアにいたアフリカーナー(ボーア人)と自称するオランダ人入植者とドイツ人入植者は、ボツワナの北や西に入ってきてボツワナの土地を手に入れていきました。
ケープタウンからカイロにまで広がるアフリカ帝国を作るという英国の野望は、彼らの入植を快く思わず、英国はついに、ボツワナをベチュワナランド保護領とすることに同意し、ドイツ人やボーア人からボツワナを守りました。
1870年に、この保護を英国に求めたのが、バングァト族のカーマ3世、バクェナ族のセベーレ1世、バングァケツェ族のバトエン1世で、今でも、ボツワナを侵略から守った3賢人として尊敬されています。保護は英国による支配を伴うものではなく、外部からの脅威に対する保護でなければならないとされ、1885年3月に英国保護領と宣言されました。
英国は、ボツワナに現地人とヨーロッパ人からなる諮問委員会をおき、1922年から1961年まではこの地域を治める代表立法評議会を置きました。その間、南ローデシア(現ジンバブエ)と南アフリカ連邦(現南アフリカ共和国)にボツワナを併合する様々な企てがなされましたが、ボツワナの族長たちや英国人宣教師たちの熱烈な抵抗でくつがえされました。
ボツワナの族長たちは常に植民地政府から自分たちの権力を守ろうとしてきましたが、次第に、自分たちの政府を求めるようになりました。ついに、1960年代初頭に最初の近代的な愛国者政党が現れ、ベチュアナランド人民党(BPP)、ボツワナ独立党(BIP)などができました。さらに、1962年には後にボツワナ初代大統領となるセレツェ・カーマ氏の率いるベチュアナランド民主党(BDP)がつくられました。この段階で、英国は財政上の理由から独立を与えるか南アフリカに併合するかを検討しましたが、併合案はボツワナの人々に強烈に拒絶されました。
第一回総選挙が1965年3月に行われ、BDPが圧倒的勝利をおさめた後、1966年9月30日にセレツェ・カーマ氏を初代大統領とする独立国、ボツワナ共和国が誕生しました。このセレツェ・カーマ大統領は、若いとき(つまり、王子だった時)イギリスに留学した時に現地の白人女性と恋に落ち、双方の両親の反対を押し切って結婚したという逸話があります。また、現在の第3代大統領イアン・カーマ・セレツェ・カーマ氏は、そのご子息です。
1966年の独立の時点では、ボツワナの人口は50万人少々で、主な収入源は牧畜業で、国民一人当たりの年間所得は80ドルほどしかなく、世界25か国の最貧途上国の一つと位置付けられていました。
しかし、幸運にも、独立の翌年の1967年に世界最大規模のダイアモンド鉱山が国内でデビアス社によって発見されました。ボツワナ政府は、その利益をインフラ、教育、医療に慎重に用いて、過去30年間を通じて急速な成長をとげ、今日、中所得開発途上国(2012年一人当たりGNI7430米ドル)に位置付けられるほどになりました。現在も、ダイヤモンドはGDPの約30%、国の歳入の約50%を占めています。100プラ紙幣には、ダイヤモンドの露天掘りができるジュワネン鉱山を背景にダイヤモンドを選別している様子が描かれています。
ボツワナは、独立以前は、資源も産業もない貧しいところだったために、他国に占領支配されたことがありませんでした。また、人々は柔和で争いを好まず、部族間争いもなく、族長は民主的な統治を行ってきました。その伝統が引き継がれて、独立後も内戦やクーデターは一度もありません。また、ダイヤモンドが発見されて裕福になった後も、権力者がその収益を独占することなく、国民と国の発展のために使われました。
下の写真は現在の国会議事堂です。
ボツワナは野生動物の保護に力を入れており、国立公園や動物保護区はよく整備されていて、観光産業はGDPの約13%を占める第二の産業になっています。管理がしっかりされているので、他国のような象やサイの密猟はありません。
ボツワナにおける大きな問題は、HIV/AIDSの感染者が多いことです。国は抗ウィルス薬の無料投与をはじめ、品行を改めるための教育や感染予防プログラムを続けていますが、まだまだ努力が必要です。
また、ダイヤモンドで得られる収入により比較的豊かな暮らしができるためか、人々は時間を気にせずのんびりしていて、ハングリー精神とかチャレンジ精神などはあまり見られません。政府はダイヤモンド以外の産業育成を目論んでいますがなかなか難しい状況です。一方、日本のようにあくせくすることなく、人間らしい暮らし方をしているとも言えます。